2011年10月9日

寺中台場(大野湊神社脇の緑地公園)

Filed under: 金石・大野方面 — Hideshirou @ 3:00 PM


大野湊神社脇の緑地公園の台場跡


大砲方鹿田文平の原図を元に一部復元したもの


1825年:外国船打払令(異国船無二念払令)以降、
外国船警戒強化のために
1866年に寺中浜・畝田村に御台場(砲台)が設けられた。

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『幕末の歴史的流れ】
1825年(文政8年):外国船打払令(異国船無二念払令)
1843年:10月:イギリス船サマラン号、八重山に上陸し測量を強行。
1844年:フランス船アルクメール号、那覇に入港し通商を求める。
1846年:米国軍艦「コロンブス号」「ヴィンセンス号」浦賀に来航、司令官ビッドル通商を求める。
1852年:11月:銭屋五兵衛牢死(80歳)。
1853年:6月:ペリー来航。アメリカ・東インド艦隊指令ペリー、軍艦4隻を率いて浦賀に来航。国書受取を要求。ロシア使節・プチャーチン、軍艦4隻を率いて長崎に入港。国書受取要求。
・銭屋要蔵らが処刑される。
1854年:1月16日:ペリー、軍艦七隻を率いて浦賀に再来。
3月3日:日米和親条約に調印。
8月23日:幕府、日英和親条約に調印。
11月27日:幕府、日露和親条約に調印
1860年:・桜田門外の変。
1882年:8/21(9/14)武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)。
1863年:5/10(6/25):馬関戦争(下関戦争)。長州藩は関門海峡を通過する外国船への砲撃を実施した。
7/2(8/15):薩英戦争。鹿児島湾にて、生麦事件の解決を迫るイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)と薩摩藩の間で戦われた。
1865年:普正寺浜で小筒や大砲の試射が行われた。
1866年(慶応 2):寺中台場、宮腰台場、大野台場、普正寺台場も造られる。(薩長同盟成立)
犀川・浅野川が氾濫。要川を掘った。
1868年:1月:『戊辰戦争』鳥羽街道・伏見街道において薩摩軍との戦闘が開始。

英国アームストロング砲:射程距離4km、榴弾有り。(欠陥が多い)
和大砲:飛距離1km
千石船:全長約20m、重量約100t。
外輪船:全長30~50m、排水量700~1,000t。
フリゲート艦:全長78.3メートル、排水量2450トン、乗組員300名。

私感ですが
もし、上陸したら宮腰は戦いの場所で、見捨てられていますねぇ(–!)
同年射程内に犀川氾濫を口実として惣構と思われる要川が造られています。
犀川、要川、木曳川の合流地点辺りを射程としているようですが、水深4~6m必要な黒船が入れるとはおもいません。
子供の時に犀川河口で泳いだとき、水深はあっても2m、至る所に浅瀬があったように記憶しています。
また、加賀藩がこれに巻き込まれるのか、巻き込まれても太刀打ちできるのか甚だ疑問ですが。

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寺中台場(大野湊神社脇の緑地公園) 『Yahoo Map

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