宝円寺と俵屋宗達の墓
宗達の道?
兼六園から石引へ 宝円寺への小さな案内板が
宝円寺 宗達の碑
俵屋宗達の墓
風神雷神図
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先日の雷は久しぶりに鳴りっぱなし。
…雷さま…雷神風神さま。
えっ、俵屋宗達の墓が金沢に在るって?!
初めて知った(驚)
どうして、眉唾??
この暑い中、チャリにまたがり噂を探りに・・・一路、宝円寺に。
暑い、兼六園の横の県美に出る坂道。
むぅ、きつい。
シャツの中は滝のような汗。
額の汗は眉を素通りしてまつ毛に襲いかかる。
護国神社、成巽閣前を通り、兼六園の石引側の入り口に辿り着く。
やっとなだらかな道にでる。
【俵屋宗達】
写楽同様、謎の絵師か?
生没年不明 1570年前後の生まれではとある。
1602年(慶長7 年) 福島正則の命令で行われた平家納経の修復に関わる。
17世紀前半か1624年頃:風神雷神図の制作
1647年(正保4 年)京都妙光寺再興の際に製作を依頼(記録は残っていない)
その後の記録が一切残っていないとのこと。
なぜ金沢に???
1605年(慶長14年):前田利常 三代藩主に。
1631年(寛永8年):金沢城と城下の大半を焼失。
木倉町に俵屋宗達の支店?があったみたいと…?
(俵屋金沢工房)
この時代に京の都から金沢に住みついたら行方不明扱いになるのか(^^!)
大火による金沢城と城下町再建の際に宮ノ越(金石)の港・大野の港から浅野川や犀川・木曳川(木材を運ぶためにこの時期に造られたらしい)を利用して木材(おそらく家具・日用品から装飾品も含む)などが木倉町あたりに集められたのではと思います。(町名の由来)
利常は今の金沢文化の基礎を築いたと言われている人ですから…有り得るかもしれません。
1759年(宝暦9年):宝暦の大火により城と一万戸余が焼失。
この大火がなければ、城内、武家屋敷や商家に宗達の絵が数多く残っていたかも…?!
【宝円寺】
1583 年、加賀藩祖・前田利家が創建した、前田家代々の菩提寺。
俵屋宗達墓碑 寛永癸未年 「泰嶺院宗眞劉達居士」
Yahooマップ 『宝円寺』